外国とのつながりを考える国境の島

 

日本の国境たる離島を旅するという企画で種子島五島列島福江島と合わせて行ったが、この島こそが一番国境を意識した。日本にいながら外国とのつながりを意識するにはうってつけの離島だと思う。
 
まったく平地が見当たらない
旅立つ前にGoogle マップ対馬を見る。その地図を航空写真モードに切り替えると平地がまったくないことが分かる。種子島は平地に恵まれていたが、これはプレートの動きによる付加体が島になったためで、ブラタモリで紹介されていた秩父と同じ、と教えてくれたのは境界協会の小林さん。対馬はその昔、大陸と地続きだったが日本海の海進で孤島になったという簡単な説明が厳原(いずはら)の観光情報館にあった。ところがwebで調べてみても、あまり良い情報がヒットしないのは残念。せっかくなので観光情報館のHPからリンクが飛んでいればと思う。
対馬博物館なるものを建設しようとしているらしいが、そこの資料によれば山林が89%を占める上に、耕地は2%しかなく、宅地に至っては1%しかないと。そん対馬の飛行場は山を潰して無理矢理作っているようで、これ以上滑走路を長く出来ないように見える。それでも1900mまで伸ばした滑走路のおかげでジェット機が着陸できるようになっており、今となっては計り知れないメリットをもたらしていると思う。
 
どこに行っても山が迫っている
なぜこんなに前置きが長いかというと、対馬では長距離移動がしんどいということを暗示したかったため。島の長さは80kmだけれども、その移動は簡単では無いということ。道は曲がりくねっている上に狭い。大型車とのすれ違いに気を遣う場面も多いし、レンタカーによる事故も多いのだとか。私たちツアー客は大型バスで北端の韓国展望所まで向かったけれども、その歴史的意義は先に示した観光情報館@厳原にて確認するとして、地元で言うところの上島あるいは下島のどちらかに絞って行動するのが良いと思う。
 
真正面が陸上自衛隊基地
韓国展望所から釜山までは50km。運が良ければ見えるという距離で、今回は運が悪かったという部類。そこには日韓交流において亡くなった方に対する慰霊碑もあった。上島をキチンと観光するのであれば、比田勝港から入って日露友好の丘も巡ってみたいところだ。韓国展望所の真正面にあるのは栗島で島全体が陸上自衛隊の基地になっている。ガイドさんによると、対馬には海上自衛隊航空自衛隊もあって、3つ揃っているのは珍しいのだと。それだけ国防上、重要な場所と位置づけられていると理解した。
 
どこに行っても崖がそのまま海に落ちている印象
ところで昼食は対馬グランドホテルで取ったのだが、ここからの展望も良かった。このホテルにはテラスもあり、ゆっくりとこの景色を見るのも良いと思う。ただし、ちっとも砂浜は無く、水遊びをすることは出来ないけれども。
 
稲荷神社とはまったく違った雰囲気の、連続した鳥居
和田都美神社はずいぶんと格式が高い。細かいことは分からないけれども、そう思わせるだけの雰囲気を持っている。目の前には入り組んだ湾が、背後には迫り来る山があって、威圧感に覆われる。一方で、神社を建てるだけの平地があって、その一等地に構えるだけの威厳があるということでもある。鳥居が一直線に何個も並んでいるので見応えがある。
海から見た和田都美神社 観光協会提供
この神社は、鳥居が海の中にもあることで有名。干潮になればそこまで歩いて行けるし、満潮時に海から来れば、またまったく違った雰囲気を感じることも出来る。今でも道路状況が悪いことから、その昔は舟で来るのが前提だったのだと想像する。額束が海側を向いているのはそういった理由のためだろうというのは、自分の想像による。そういえば、ここは対馬にしては珍しく?遠浅であった。昔の舟は遠浅の場所に着けるのが前提であっただろうから、そういった点でもここが選ばれているのかもしれない。
対馬の中心が厳原(いずはら)だとすれば、ここ和田都美神社に来るためには国道382号線をうねうねと来なければならない。それが舟の場合、大船越瀬戸を通ってくれば比較的近くなる。対馬は南北80kmの島で、舟で反対側にまわろうとすると、相当な距離を迂回しなければならない。一方でリアス海岸が発達してもう少しですべてが水没しそうだ、というのが大船越瀬戸というわけで、江戸時代に水路として切り開いたわけです。そうなると陸続きだった南北の往来が不便になるわけですが、そこは舟による東西の往来を優先したと考えれば良いわけだ。この船越の西側には海上自衛隊基地があるけれども、ここは日露戦争における要所だったとのこと。対馬は日韓関係だけで無く、日露関係にも大きな影響を与えてきたことになる。
複雑な海岸線
和田都美神社から近いところに烏帽子岳があって展望台になっている。正直言って、麓から烏帽子岳を特定するのは難しい。山がたくさんある上に、山々が近すぎて遠くまで視界が効かないからだ。それもこの展望台まで昇ってくれば別だ。ボコボコとした山々と入り組んだ湾が四方八方に見える。そして西側を向けば巨済島の光が見えた。韓国の近さを実感するだけであれば、この展望台で十分だと思った。
水平線に明かりが見える
 
朝日の中、出航する漁船
朝の厳原港は絵になる。狭隘な志賀の鼻台場を迂回するように作られたバイパスを南に下ると漁港があり、ポツリポツリと漁船が出航していく。対馬では特にイカ釣り漁が盛んだそうだが、この厳原港は三方を囲まれているので、漁港としても好立地だったのだろうと想像する。今では大型フェリーも寄港できるようになっている。今対馬では韓国からの観光客が増加しているが、その多くは日帰り旅行になっているのだと。その一つの大きな理由が宿泊施設が不足しているということ。行政側もそれはよく分かっているようで、最近開業した東横インはその招致が活動が成功したためと思われる。この状況でもう一つ足りないものを挙げるとすれば朝市だ。朝、厳原の町で開いている店はモスバーガーだけなので、旅行気分を味わうことが出来ない。まずは月1日でも良いから動きを作ってもらいたいものだ。
今でこそ深い水深が求められるが昔は違ったはず
さて厳原港の南側、奥まったところにお舟江なる日本遺産がある。江戸時代に御用船を係留していた施設で、今となってはこのような形で残っているのが珍しいために指定されているのだと。厳原の中心街からは2km程度離れているが、干潮時に底が見えるほどの浅瀬が貴重だったためにここになったのでは無いかと勝手に推定してみた。
 
厳かな雰囲気
2017年になって朝鮮通信使が世界記憶遺産に登録されたことがニュースとなった。この朝鮮通信使なるものになじみが無かったのだが、江戸時代の朝鮮王朝が江戸幕府に派遣した外交使節団のことだとか。江戸幕府が代替わりするたびに派遣したもので、日光まで行った使節団もあったのだとか。その今でいう日韓関係を取り持ったのが対馬藩で、藩主は宗氏。この宗家の菩提寺が万松院となっている。100段を超える石段を登り切ると巨木とともに立派な墓を目の当たりにすることになる。
椎茸は大分産としても相当量を出荷していたのだと
言うまでも無いが対馬も海の幸は豊富だ。そして椎茸も。この山間地帯で、長崎県の97%を栽培しているのだと。しかもすべて原木栽培。これを石焼きで食べる。文字通り熱した石の上で焼くのだが、鉄が無かった時代に鉄板代わりに使っていたのが残っているのだろうか。じんわりと焼けてくるので、会話が弾んで少々目を離していても焦げ付くことが無いのがメリットか。ただ観察の結果、熱効率は非常によろしくないとの結論に至ってしまった。
コンパクトな街となっている厳原には、一角にスナックが集まっている。その一軒にお邪魔してみたところ、ママさんはフィリピンの方だった。日本各地を転々としたものの、最後はここに落ち着いたのだとか。詳しいことは聞きそびれてしまったが、日本文化とフィリピン文化をうまくブレンドして生活されているようだった。
この対馬では、豊臣から徳川までの日韓関係を垣間見ることができる。それは外国をどう見ていたかにもつながるもので、視野を広くしてくれるものだと思う。また、江戸時代に切り開いた水路が、対馬沖海戦とも言われる日本海海戦につながっていることもあり、まさに国境を意識する離島と言えると思う。
 
1泊2日モデルコース
対馬空港~和田都美神社~烏帽子岳展望台~厳原(泊)~厳原散策~お舟江~対馬空港